日常の詩学小説?
昨日は学会の設計競技審査。出品作28作品から7点の入選を選んだ。昨年より大分レベルが上がったものの、本部に集められた中でどの程度のレベルにはいるのかはよく分からない。なんとか全国入選が一つくらい出れば嬉しのだが。審査が長引き、急げば最終に乗れないことも無かったが一泊した。そのおかげで「のどくろ」や「金時草」などの金沢名物を食すことができた。今朝は8時台の電車で東京へ。車中、青木淳悟『このあいだ東京でね』新潮社2009を読む。久しぶりに単行本の小説を読んだ。青木淳悟は最近注目の小説家だそうだがそんなことを知って買ったわけではない。固よりこの人の名前など全く知らなかった。なんでこんな本を買ったのかよく覚えていない。タイトルが魅力的だったからだろうか???これは最近の傾向なのかもしれないが、この小説も日常の生活がとてつもなく詳細に描かれている。阿部和重の『シンセミア』を読んだときにも似たようなことを感じた。もちろん二人の小説が本質的に似ているという意味ではないが、その書きっぷりが類似する。日常の煩瑣なことが全てデーターベースのように書きとめられている。小説や音楽はあるヤマ(テーマ)に向けて盛り上がりを見せるのが普通だと思っていた。そのためには盛り上がるために必要なことが書かれるものである。ところが彼らの小説はそうではない。何でもかんでもまるでテープレコーダーの記録のように記されている。「でもそれが生活だろう」と言いたげである。日常の厚みのようなもの、その厚みの奥の方を垣間見せる。日常の詩学小説?
金沢は雨だったが東京に着いたら晴れ。しかもとんでも無く暑い。ネットニュースを見ると、東京の梅雨は実質的に明けて、猛暑が続くと言う。事務所に戻り塩山インテリアスキームの打合せ。沢山のスケッチを見ながら方向性を一つ出す。
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