田中角栄とコールハース
昼から大学の後援会の理事会が行われた。新しく出来た建物に大きな会議室があり工学部の父兄150名くらいが集まった。その父兄を学科ごとに分けてそれぞれの建物に連れて行き就職状況や施設を紹介する。それは毎年学科の就職委員の役目で今年は私である。親御さん18名を連れて講義室に行き就職状況などを説明し、構造実験室、製図室を案内した。皆さん遠くから(長野県内の方は一名だけである)わざわざ来られているわけでこちらの話に真剣そのもので聞きいっていた。こりゃ講義より話し甲斐がある。その後学食で懇親会。4時ころからビール飲んだら眠くなってきた。終わって研究室に戻り床にマグロのように転がって1時間熟睡。ニードルパンチを敷いたこの床は固くて適度に冷たくて気持ちいい。目覚めてから学生とワークショップの打合せ。帰ろうかと迷ったが家に戻っても寝るだけなので保坂正康『田中角栄の昭和』朝日新書2010を読む。田中角栄は僕らの世代にとっては悪の代名詞のように言われる一方で人情もろくて憎めず、数字に滅法強く、日本最初の一級建築士などなど、幅の広さを感じる人間である。実際この本を読んでみると、田中はなんと19歳で自分の設計事務所を作り、大物政治家を顧問に据えてあっという間に100人を抱える会社にしてしまったそうだ。若くして資本主義の本質を本能的に捉まえていたわけだ。田中のそんな能力に感嘆しながら最近よんでいた別の本を思い出した。Donald McNeil のThe Global Architect Firms Fame and Urban Form Taylor and Francis 2009 である。この本には世界を席巻する建築家達が登場する。SOM、 ゲーリー、コールハース、彼らは飛行機の中でスケッチを描き、E-MAILで指示を出し世界を飛び回る。ファッションブランドよろしく、特徴あるスタイルと名前を建築に貼りつけてとんでもない金を紡ぎだす。彼らもキャピタリズムの何たるかを至極承知している。資本を手玉に取るその生き方はコールハースも田中角栄も似ているのかもしれない。
いつも楽しく読ませていただいております。
田中角栄の登録番号は、1号ではなく、16989号であり、一号は、山形県在住者だったそうです。
逸話としては、広く知られているが、実際は違うようです。
話の本質からはずれているとおもいますが、正しい情報と思い投稿させていただきました。
ありがとうございます。