都市のイデア
8時のアズサで甲府へ。猛暑は過ぎ去ったが未だ暑い。住宅の現場は順調に外壁の合板が貼り終わっている。クライアントは瓦の色を気に入ってくれて一安心。近隣から屋根が眩しいという苦情があったようだが、平屋住宅の屋根を瓦にして、それを眩しいと言われたら何も設計できない!!午後塩山に移動。施主定例でクローバーの葉の形に側面に穴をあけたテーブルデザインをプレゼン。そしたら天板ももっと柔らかい方がという積極的な注文。現場は底板のコンクリート打設中。今のところ遅れていない。夕方のカイジで新宿へ。車中、伊藤毅・吉田伸之編著『伝統都市①イデア』東京大学出版会2010を読む。近代都市形成の下地である伝統都市の中に現代に繋がりうる都市のイデア(それは観念であり図像である)を掘り起こし紡ぎだそうという試みである。その一編、陣内秀信の「地中海都市」を読む。地中海周辺諸都市のイデアとして陣内があげる観念は「神殿と迷宮」。幾何学的で明快で広々とした神殿的場と狭小で分かりづらい迷宮的場が時代と場所を問わず現れることを説明してくれる。とかく神殿的な街づくりがよしとされた近代において迷宮への視座は欠落してきた。僕自身学生時代リンチの都市のイメージを読みながら「都市は分かりやすい方が良い。迷子になることは不幸である」というテーゼに対してひどく憤慨した記憶がある。パブリックなスペースはそれでよいが居住地はその逆であるべきだと思い東京のフィールド調査をした。地中海都市はまさに居住地に迷宮が形成され住人のみが分かる空間性が実現されているという。僕の調査が示すまでもなく東京をはじめ日本の伝統的都市には路地性があり同様の迷宮があるわけである。本書の伊藤毅の論考「移行期の都市イデア」では日本の伝統都市が城都のグリッド性、町の道性、境内の求心性をイデアとして保持してきたことを指摘する。これは神殿と迷宮の日本版と読むこともできそうだ。グリッドの明快さと道や境内の曖昧さ迷路性である。すなわち都市とは常に分かりやすい部分と分かりにくい部分との混在の中である平衡を保ってきたのではなかろうか?どちらかしかない都市は片手落ちだと僕は思う。先日行ったポルトガルもまさに地中海都市の伝統であろう。巨大な広場と迷路が適度に混在し、めりはりのある心地よい都市であったと思う。一方、先日まで通っていた中国の大倉や蘇州などは農地収容した巨大道路が縦横無尽に走っている。その意味では実に明快である。つまりは徹底した神殿性で作られているのだが迷宮性は全く顧みられていない。むしろわずかに残る伝統的な迷宮部分は神殿へと作りかえられているのである。
You must be logged in to post a comment.