100メートル角
コンピューターが立ちあがらない。朝から不幸。壊れそうなデスクトップで仕事。マドリッドでの建築展覧会パネル3枚きれいに出来上がった。Emsで送る。送料8000円弱。鈴新で昼食。マスターが店のそばに古伊万里専門の骨董屋ができたと教えてくれた。早速散歩がてら行ってみた。おお!!なかなかの品揃え。見たことないような柄もある。人気柄の蛸唐草と呼ばれるタコの足がからまったような唐草模様の口の細い徳利があった。江戸後期と思われる(というのは色がかなり渋い)。形が優美で何ともいい。欲しいなあ!!と思ったが後日かみさんに値踏みしてもらうことにする(その間に売れたら悔しい)。
午後打合せの合間に日端康雄『都市計画の世界史』講談社現代新書2010を読む。都市計画と言うとつい近代的概念だと思いがちだが、この本ではその嚆矢を紀元前3000年のモヘンジョダロに見いだす。最初の都市計画家はBC5世紀ギリシアのヒッポダモスだそうだ。確かに自然発生的にアメーバ―のようにできた町以外は、多かれ少なかれ計画と言う概念があったのであろう。これを読んで二つのことになるほどと思った。ギリシアのポリスもそれ以降の中世の城郭都市もある大きさ以上にスプロールはしなかった。歩いて移動できる範囲で一つの町は終わる。車のない時代だから当たり前と言えば当たり前だが、、であるから人口が増えればその範囲で高層化したのだそうだ。だから古代の都市には7~8層の住居もあったようだ。車を減らし歩く都市を作らねばならぬ現代においてこの時代の都市は参考になる。加えて我々の時代人口は減るのだから、むしろキュッと絞って密度を上げて後は増築ならぬ減築していけばいいと言うことになる。もうひとつお勉強したことがある。グリッド型の都市は古来存在するのだが、そのグリッドのスケールは古来約100メートルだという事実。もちろんニューヨークのように南北は60メートル・グリッドだったり、平安京のように121メートル角と言うのもあるのだが、だいたい100内外だったようだ。因みに幕張のロの字型集合住宅街区は80メートル角。去年行ったブエノスアイレスはまさに100メートルだった。
曽根幸一さんの事務所で、幕張のロの字型集合住宅街区の街区構想・デザインガイドラインに関わっていた時、江戸の街割り、即ち、20間背中合わせ・・・20間×2=40間(72m)を念頭に置き、+α=80mで街区を設定したのを思い出しました。
国立劇場を設計した柳澤孝彦さんと話した時、人間が表情を識別できる距離は36mなのだとか。コンサートホールの大きさの限界なのだそうです。
街区の真ん中に立って、両側のストリートの人の表情を識別できる距離、柳澤さんは江戸の街割りをその様に解説していました。
世界中で、100m内外の街区なのは、人間の性能?故で、偶然ではないのでしょうね。
そういえば、原さんの本の中にも、100mか50mグリッドの中に建つ高層ありましたね
山田さんコメントありがとう。80メートルの理由分かって嬉しいです。なるほどねえ。
大作久しぶり。僕には実は100メートルが少し大きい気はするのだが。歳かなあ???