セゾン文化は僕の血であり骨である
午前中甲府の現場。外装のモルタルは塗り終わり乾燥中。内装の縁甲板が張り始められた。午後は塩山の現場。基礎梁のコンクリートが打ちあがる。それにしてもこの場所でこの窮屈感。こんなブドウ畑の真ん中で建蔽率一杯の建物なんて信じられない。
夕方のアズサでスタッフのT君は新宿へ。僕は松本へ向かう。車中永江朗の『セゾン文化は何を夢みた』朝日新聞出版2010を読む。数ヶ月前田口久美子の『書店風雲録』ちくま文庫を読んだ。セゾン文化の一角である本屋リブロを内側から克明に描いた本だった。リブロができたのは85年だがその前身の西武ブックセンターは75年。そのころ僕は高校から大学、院という時期で池袋は高校大学と通学路であり、リブロの話は青春そのものだった。一方この永江の本はリブロも含むセゾンが行った文化事業を総括的に振り返る。永江はもともとリブロの上にあった西武美術館(のちにセゾン美術館)に併設された美術洋書売り場アール・ヴィヴァンで働いていた人間であり、お隣の美術館の話からアール・ヴィヴァン、無印、そして辻井喬へのインタビューまで総合的にリポートしている。リブロ以上に僕はこの美術館にお世話になった。大学に入りバイトで金を作り美術館の会員になり、数年間くまなくここのメインの展覧会には行ったと思う。未だに当時の入場券とフライヤーはスクラップブックに貼って保存されている。会員になると無料でアール・ヴィヴァンという雑誌ももらえた。ここの展覧会はそのころ少しずつ美術に憧れを持つようになったキッチュな日本人好みの後期印象派やピカソ、マチスといったものはほとんど相手にしなかったと記憶する。デパート美術館が流行り始めた頃だったと思うが、伊勢丹や三越ではまさにそういう展覧会で客を集め収益に貢献していたと思う。今でも覚えているが、荒川修作展が80年代の西武では行われていたのである。そんなものを見たいと思う人は今だってデパートに買い物に来るおばさんの中にいるとは思えない。加えて建築をテーマにしたもの、音楽、ファッションとにかく当時の今を感じるものはなんだって対象になった。そんなことは、公の美術館はもとより、民間美術館でもあり得ないことだったと思う。このときの西武美術館の文化のくくり方の幅の広さは知らず知らずに僕の青春時代に血肉化したのだと思う。建築を建築だけで考えることはどうしてもできない。文化はごった煮である。ゼミで音楽もファッションも社会学も哲学も読むのはきっとセゾン文化で培われてしまったことなのかもしれない。
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