世界史の構造
ちょっと前に読んだ柄谷行人の『世界史の構造』を「読む」という特集の雑誌があったので読んでみた(『atプラスvol6』2010/10)。まずは柄谷を含め大澤真幸+苅部直+島田裕巳+高澤秀次による座談会が載っている。そもそもの本が難しいのに加え座談会出席者の広範な専門領域に話が入り込むと正直その関連性はもう僕の理解を超える。そんな中で大澤が自著『不可能性の時代』と比較して語ってくれたところは分かりやすかった。大澤は自著で「歴史の終わり」と思っていた時代(自由主義経済が最良のシステムだと思われた時代)が21世紀になったくらいから機能しなくなってきたことを示す。そしてそのオプション探しの必要性を提示。一方柄谷は時代を4段階に分割し古代から互酬性、略取と再分配、商品交換、そして新たな互酬性が来ると予言的に語る。つまり大澤の問題提起に柄谷は「新たな互酬性」という答えを用意したと大澤は語る。しかしてその答えが正しいかどうかについては明言を避けている。ところで一体柄谷の言う現代の「新たな互酬性」とは何なのか?この対談の表題にもある通り、やや乱暴に言えば、それは「抑圧されたコミュニズムの回帰」なのである。もちろん回帰とは直接的なそれではあり得ないが。
さて対談とは別にいとうせいこう、斎藤環、磯崎新、佐藤優の書評(感想?)が載っている。この中から磯崎の文章を読んでみた。磯崎にしては歯切れが悪い。というか簡単に言えば磯崎は賛意を表しつつ、円環状に閉じられた4段階目にこの制度がはめ込まれていることのみを批判している。系はもっと開かれているべきだというのが彼の主張である。それはもっともなのだが、そんな大枠の話はこの際どうでもよいようにも聞こえる。磯崎からはもっと直球の感想を聞きたいところだが、磯崎でも手に負えぬ問題ということなのか??
はじめまして。本書をちょうど読み終えたところです。非常に難解ではありましたが勉強になりました。アマゾンとブログには以下の感想を書いたところです。
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大著であり、読み終わるのに一カ月程度掛かった。
本書は4つの「交換様式」という新しい物差しで歴史と現代を測り直そうという試みであると読んだ。4つの内3つは既に実現したものだが、それを乗り越える4つ目の物差しを作り上げることが人類の新しい時代を作り上げるという主張だ。
何かを希望する事の基礎には必ず現実への絶望がある。著者も9.11以降からリーマンショックまでの7年間を基本的には「絶望」という切り口で総括したのだと僕は読んだ。ではその「絶望」から「希望」への脱出口はあるのか。著者は有ると信じている。そして、その脱出口を切り開く方法として、4つ目の物差し=新しい「交換様式」があるべきだと断定している。
従い、本書を共感しながら読むに当たっては、まずはその著者の「絶望」に共感しなければならない。他人の絶望に共感することは簡単なようで実は大変難しいのだと思う。「ゆでガエル」という言葉がビジネスの世界で良く使われているが、それは、そもそもの人間の考え方の話だ。著者の絶望を共感出来ないような自分がいるとしたら、それは時代に流されているからかもしれないと考えることは本書を読む際の一つの姿勢なのかもしれない。
僕自身は有る程度の「共感」を持つことは出来た。但し、著者の語る新しい「交換様式」に関しては、正直具体的なイメージが持てないままに終わった。
これはまずは僕自身の知見の無さと不勉強であることは間違いない。本書くらい注を熱心に読んだことも希であった。
但し、著者としても「これが4つ目の『交換様式』だ」と断言した部分も無かったのではなかろうか。これだけの大著なので再読してその個所を探すという作業もままならないが、やはりかような断言は無かったのではないかと、今この瞬間は思っている次第だ。これは著者を責めているわけでもなんでもない。その新しい「交換様式」を探していること自体が、現代の課題だからである。