ことばが世界を切り分ける
久しぶりに始発のアサマで大学へ向かう。これまでは朝会議の日は前日の夜行っていた。しかし冬になると夜中の長野マンションは冷蔵庫状態。とても寝られないのでこれからは少々辛くても朝一で行くことにした。早朝出かけるのも気持ちのいいものである。車中今井むつみ『ことばと思考』岩波新書2010を読み始めたが案の定眠りに落ちた。午前中学科会議。午後ゼミ。4年の卒論梗概をそろそろ真面目に見始める時期だが、憂鬱である。毎年何書いているんだか分からない。今年はまた一段と分からない。自分たちは分かっているのだろうか?夜学科の忘年会。今日はリンゴジュースで鍋をつつく。寒いマンションに戻るのは嫌なので東京にとんぼ返り。車中『ことばと思考』の続きを読む。言葉は世界を切り分ける道具。だから世界の認識は使う言語で変わる。ということはずっと思ってきたことだが実例を示されるとさらに頷く。例えば、信号機の緑を日本人は緑と言いアメリカ人は青という。それは日本人が青という言葉を持たず、アメリカ人が緑という言葉を持たないからではない。双方、両方の言葉を持つのだがその言葉が指し示す領域が異なるのである。しかし世界には青と緑を区別しない言語が多くある。つまり青と緑の両方を同じ言葉で示す言語である。なんとその数は119言語中91もあるそうだ。もちろん世界の切り分けは名詞に限らない、形容詞、動詞に至るまでその差はさまざまのようである。
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