普通の国ニッポン
クローバー型枠のコンクリートも無事打ち上がった
午前中あずさで甲府の現場へ。残りは外構。午後塩山の現場。躯体が打ち終わって上棟。さて残り2.5カ月で仕上がるか?定例が終わると真っ暗。温度も急激に下がる。ああこのまま長野に行くのは凍え死に行くようなものだと思いつつ、あずさで松本経由長野。案の定、長野は=3度。駅で夕食をとり少々アルコールも入れてマンションへ。暖房をつけっぱなしでベッドへ。寒さのせいか夜中腹痛で目覚め、正露丸を飲んで耐え忍ぶ。
長野へ来る車中読んでいた上野千鶴子、辻本清美『世代間連帯』を思い出す。あまり政治の話に強くない僕は常にノンポリを決め込んでいるのだが、久しぶりに文句言うべきところは言わないと世の中住みにくくなり続けるという危機意識を煽られた。
彼女らに強く同意するのは日本はもはや大国ではないという自国の認識。そしてそうであるにもかかわらず、60代以上の政治家や財界のオヤジたちは(経済)大国という幻想としての日本を忘れられないでいるという認識のずれ。(経済)大国という幻想を捨て(経済)普通の国ニッポンとなった時に僕らが目指すのは普通の幸せである。
2001年に大塚英志が『中央公論』誌上で公募した「私たちが書く憲法前文」の優秀賞に次のようの文章があったそうだ。
全くもってタイシタコトのない/世界的に見てソコソコの国がいい。(略)
世界なんていう単位で/立派で一番!になる必要はあるのか。/私たちから見て一番幸せになれる国。/そうなる必要は大いに/有。
景気ばっかりよくって/高ーい車買って/宝石ジャラジャラつけたくって/そんな/目や手や/そんな物で感じる幸せは/ソコソコあれば十分。/タイシタコトナイ平凡な国がいい。/穏やかに過ぎる時に/心で幸せを感じられるから。(略 )
上野は審査員の一人で1こんな文章に驚き感動したそうだ。これを書いたのは17歳の女子高校生。娘と同年齢である。どう思うか聞いてみたい。
この高校生の行っていることは、多くの若者が感じていることではないでしょうか?ただし私は半分賛成、半分は危惧を持ちます。”普通”の意味と、”幸せ”の経済的前提。
日本の相対的地位の低下は、今まで成長できなかった国、人びとが、グローバル化の進展、情報技術などにより、多くの成長の機会を与えられ、それをつかんだ為、世界の格差が縮まり、日本の相対的地位が低下した為です。この前提は、今後も加速します。
そこでの普通の国とは、その現実に対し、国民一人一人が、この世界で売れる様に努力する国のことでしょう。それをしないで、幸せな生き方は成り立ちません。何もしないで、のんきに暮らせるという幻想を持っている若者が多い日本は、”普通以下の国”と思われて無視されつつあります。そう言った意味では、この高校生も、60歳以上の先輩と一緒で、世界における日本、および個人としての自分の立場の理解が間違っていると思います。早く世界に出て、成長国の若者に触れ、外から日本を見てほしいです。
潜道さん的確なコメント(というよりフォロー)ありがとうございます。
この高校生が努力しない、のほほんとした人かどうかは分かりません、また日本の地位低下が相対的なものだけとは限らないと思いますが、世界を見る努力をするのは同意見ですし、努力せずぼーっとしていることを是とする気はまったくありません。ただしどこに向かって努力するかということが重要です。JAPAN AS NUMBER ONEのような時代にいまだに郷愁を抱いては日本のランディングする場所を見つけるのは難しいということです。