村上隆の考えにかなり賛成
午前中事務所で打ち合わせして午後学会で審査。1時から7時半まで。こんな長い会議って滅多にない。終わって皆で食事して帰宅。昨日丸善で面白そうだと手にした村上隆の『芸術闘争論』幻冬舎2010を読む。
現代芸術をめぐる画商とかサザビーズとかクリスティーズの本は読んでも芸術家自身の言葉はあまり読んだことが無かった。でも、やはりアーティスト本人の本音は面白い。その中に現代芸術鑑賞の四要素というのがあった。それらは
① 構図
② 圧力
③ コンテクスト
④ 個性
だそうだ。これ結構建築に近いところもあるなあと思う。まあ僕の考えでは構図はないのだが、圧力はある。これは圧力と言うか僕の言葉でいえば表現の強度というものであり、見る物を圧倒する力である。それは執拗な表現の反復だったり、とんでもない手の痕跡だったり、まあその方法はいろいろあるが言ってしまえば表現の力である。次にコンテクスト。これは建築でいうコンテクストではなく、アートシーンの中での作品の連なりのことである。つまりこの白い箱は少し西沢立衛のようだが窓の開けかたは藤本のようであるというように、デザインがどういう潮流の上にあるかということである。村上が言うように表現とは自分の好きなことを自由にすることではない。あるシーンの上で何が受け入れられるかということである。僕も大学でよく言う、君たちが好きなものを自由に作ってはいけない。小学校のころ国語の先生が作文の時間に「自由に書きなさい」と言い、図工の時間に「好きなものを自由に描きなさい」というのは全く無意味である。そんな指導で言い作文やいい絵が描けるのは奇跡的な天才でしかない。絵だって文章だってその方法を緻密に教えてもらなければ書けないし描けない。そしてその技術がつき、その次に売れるようなものを書いたり描いたりするためには売れるものは何かを考えるしかない。僕も製図の時間に売れる家を設計してくださいという。そのためにはあなたが欲しい家を設計するのではない。と注意している。これは村上の言うコンテクストである。そして最後に個性である。もちろん個性がないことにはどうしようもない。でも個性だけでアートも建築もできるものではないということである。
さてそうなると僕は村上隆に全面賛成かというとそうではない。かなりの部分近いかもしれないけれどやはり違う。その違いはやはりアートと建築の違いなのだと思う。村上よりもう少し長い射程で自分の作品を考えていると思う。
売れる家。
ハウスメーカーの家のことですか?
どのように設計してるのでしょう?
アートのようにコンテクストを意識しての設計は、いわゆる建築家大先生の考え方で受け入れ難いです。
建築はゲームではないと信じて設計しております。
コメントありがとうございます。
誤解を招く発言でしたね。売れる家とは前後の文脈がないとハウスメーカーとかと勘違いしますね。でもそういう意味ではもちろんありません。
一言でいえば社会とか文化の枠組を無視しない住宅ということです。たとえば坂本先生が消費文化ということを常に念頭においてボードリヤールを参照しながら建築を考えていたのは僕から言えば売れる家です。伊東豊雄さんばシルバーハットを作った時「こんな恰好悪いものをつくってしまった」というようなことを言っていましたが当時伊東さんが好きだったのは中野本町のような家でした。でも社会や文化から考えて彼はシルバーハットを作ったのです。ぼくから言わせればシルバーハットは売れる家という意味です。
西沢さんとか 藤本さんとかを村上隆にならって比喩にだしたのはちょっと言い過ぎでした。あれは冗談だと思ってください。
自分の好きなものを作っても建築にならないよという意味で売れるという言葉を使ったのでした。誤解を招くのは承知で使いましたが、、、、ごめんなさい。