論文、レポート、、、
朝一で主査の意匠系修論4通、副査の歴史系3通、心理系3通を受け取る。全10通の1000字要旨を精読する。悲しいことに歴史系の3通と心理系の3通の論理的で分かりやすい文章に比べるとわが研究室の意匠系4通の文章は何を言っているのか分からない。もちろんフィールド調査をして何かを明らかにする歴史系、実験をして何かを評価する心理系に比べて、何かを創造する意匠系の論文(論文付き設計)は論理性をどこかで飛び越えなければいけない。その宿命を負っているだけ大変である。しかしそこを分かりやすく言えるようにならないとレベルの高い設計を今後進めていくのは難しい。つまり社会に出れば嫌でも分かりやす説明が求めらる。その時に言葉の無い設計者は自分の持つ志の高い設計理念など説明困難になり、誰でもが分かる凡庸な言葉で説明される俗な建築を提示するしか道がなくなるのである。
9時からの学科会議後昼締切の2年生のレポートを受け取る。飯もそこそこにレポートを読む。1時に引っ越しやが見積もりにきたけれど、レポートを読み続ける。試験期間中なのに良く書いたと褒めてやりたいところだが、どうも参考文献やネットの写しのようなものが多くみられる。自分の問題意識に引きつけられているものは数えるほどだ。
2時半に某市役所の方がやってくる。プロポーザルの審査の依頼。最後の長野奉公と思いお受けしたいところだが、プロポーザルは何時でもどこでも提出側の不満が募るもの。その原因は二つある。一つはプロポーザルと言っておいてコンセプトのプロポーズを判断するのではなく単に事務所の経歴と規模を国交省の採点基準で判定すること。二つ目は応募資格のハードルが高いこと。もし業績と規模と同様施設の実績を重視するなら最初から大手事務所の指名にでもすればよい。プロポーザルにするなら先ずはアイデアを評価する仕組みにして業績の点数を下げ、応募資格のハードルを下げること。これを理解してもらえれば引き受けると返事をする(本当は出したいところだが、先方の応募条件のままならそもそも自分も提出できないからまあいいのだが)。
夕方修論、卒論の発表リハ。提出したその日のリハだからどれもこれもひどいものだ。どいつもこいつも腫れぼったい眼で。まああと一週間で人に分かるプレゼンをしてくれ。
本日帰宅を予定していたが、山のような雑務に追われてとても帰れない。明日の甲府は長野から行こう。
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