点点点を好きな感性とは
今朝の長野は雪である。模型を運んできたので駅から自転車には乗れない。タクシーで大学へ。研究室に荷物を置いてゼミの部屋に向かう途中で綿のように落ちてくる雪をたどりながら空を見上げる。立ち止まりその雪の行方を追う。白い点々の空間の中に体ごと放りこまれ。点々点々の中でしばし時間が止まる。額に落ちた一片の冷たさで我に返る。「ゼミに行かないと」。綿のような雪に包まれながら今自分の心の中に接触、粘着したできごとを振り返る。「ああ、これはまさに桜を愛でる感性!!」昨日読んだ佐々木健一の『日本的感性』に記されていた日本人が桜を愛でる感性そのものである。意識を集中し何かを対象化する西洋的感性ではなく、何かに包まれ身体的に感じ取る日本的感性なのである。佐々木氏はそれを触覚的と呼んだが。まさに雪が額で溶けることで包みこむ雪は実体化した。白い空のなかで夢の中のような距離感のない白い点が額の上で質量を持つものとなった。
対象が明確な中心のある西洋絵画はモネのころからどこに中心があるのだか分からい多中心な絵に変化した。モンドリアンだって、ポロックだって、そして草間弥生だってみんな多中心になった。そして草間はまさに文字通りの多中心で点点点点になったのだ。その点点点は今日見た雪とそういえば近い。いや、雪そのものかもしれない。点点点を見るとどうにも気持ち良くなる僕の感性はこの雪を愛でる感性であること分かってきた。いつも点点点が好きな自分をどうにもうまく説明できなかったのだがこれからは堂々と点点点が好きだと公言できそうである。
午前中論文発表会のリハ。少し進化したパワポ。こういうのは粘り強く先生も我慢しながらやるしかない。午後市役所で市民会館の建設検討委員会。しばらく出られなかったらすごい活発な議論が交わされる。結構なことだ。もう僕の出番ではない。研究室に戻ると某市の商工会議所の方々来研。東京から運んだ改築案の模型を説明。持ち帰り検討いただくことにする。夕方雑務。夜のアサマで東京へ。
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