中世は触角や聴覚の時代だったんだ
朝から原稿の骨格づくり。しかしやり始めてもちょくちょく来るメールに答えたり、思い出した郵便物まとめたり、そんな雑用が仕事を切り刻む。昼を食べてからやっと書き始める。4時ころまでどんどん書いて四谷のジェクサーに行って一っ走り。汗を流して戻ってまた書く。今日長野に行こうと思ったが明日の朝一の電車で行くことにする。
原稿書きながらこの本(人間主義の建築)の著者ジェフリー・スコットが美術史家ハインリッヒ・ヴェルフリンの影響を強く受けていることを痛感。感情移入美学を紹介するだけではなく、建築を空間としてとらえる当時のドイツ形式主義の視覚優先論がここにも表れている。
ところで視覚はフィドラー、ヒルデブラント、ヴェルフリンと繋がるドイツの芸術学者によって形作られそして5感の王様になるのだが、海野弘『足が未来をつくる』洋泉社2004を読むと彼はマーティン・ジェイの『伏せられた目――二十世紀フランス思想におけるヴィジョン非難』(1993)を紹介し視覚の変遷を次のように説明する。「それによると古代ギリシア文化は視覚中心であった。・・・・ところが中世になると視覚は第一の座からすべり落ちてしまう。そして、聴覚や触覚が最も大事な感覚とされていたという」。しかしその後活版印刷の発明、カメラの発明が視覚を感覚の王の座に押し上げたというわけである。
視覚優先の時代はそう簡単に壊れるわけはないのだが、他の感覚も我々の生活を豊かにしているということをわれわれはもっと自覚的になった方がいいと思う。
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