丹下健三と篠原一男をつなぐもの
一日図面と睨めっこ。分棟で異なるデザインだと結局棟の数だけプロジェクトをやっているようなものである。もうへろへろである。
丹下健三シリーズ第二弾。
丹下さんの論考の一つに「現代建築の創造と日本建築の伝統」1956というものがある。ここには「美しいもののみが機能的である」という有名な一句が含まれている。都庁が出来る1年前である。伝統論争の渦中である。丹下の後輩である池辺などが合理主義を高らかにうたっていた時代である。丹下は桂、伊勢を自らの建築の基盤として伝統への志向を示し、それが導火線に火をつけ建築界全体を伝統論に巻き込んだ。丹下は近代合理性への舵を力いっぱい「美」に向けて切り返そうとしたのである。
藤森照信によればこの論文が若い建築家に大きな影響を与えたと記されている。そう考えると恐らくこの言葉にもっとも影響を受けたのは篠原一男ではなかろうかと思わないではいられない。当時篠原は30歳。処女作久我山の家の設計を終えたころである。住宅は芸術であるという言葉を使うのはそれから10年近く後ではあるものの、その気持ちは既にこの頃芽生えたに違いない。篠原が唯一尊敬する建築家と言って憚らなかったのは丹下健三だと聞いていただけに、この論考こそが篠原を住宅芸術へ導いた導火線だったのではなかろうかと邪推したくなる。そして久我山の家が丹下自邸と相似形にあるのもその延長線上にあるのではなかろうか?
香川県立体育館 1964と横浜国際ターミナルコンペ案等も思い出せます。洗練さは篠原先生のほうがすばらしいとは思いますが、誰もがコルビジェに気が付かされたと同様に、丹下健三に気が付かされていたとも思えます。どちらかというと丹下と篠原の違いは、形態論と空間論の違いといってもよいかもしれません。個人的には空間論として先生の生前に白井晟一をどう考えていたか、聞けなかったのが残念ですが。