なぜモダニズム建築は保存されないのか?
午前中早稲田の発表。消費性がテーマ。消費社会におけるデザインはその差異性だけが問題となる。しかるにその差異は瞬く間に類似デザインによって埋められ陳腐化する。
とある学生はこんな発表をした。
世の中には惜しまれつつも解体されていく建物と大事に保存活用されていくものがある。例えば前者は旧都庁で後者は東京駅。前者が解体に追い込まれたのは一般の世論がついてこないからだと言う。つまり保存されるかどうかは建築に内在する価値で決まるのではなく、人々が決めると言うわけである。
ではこうした民意が巻き起こるためには何が必要か?それはスタイルの視覚的差異性。つまり和風、擬洋風、モダン、ポストモダンという日本の建築様式の流れの中で、現在がポストモダンなら民意を巻き起こすヴィジュアルギャップは2つ以上前のスタイルでなければならない。すなわち洋風以前でなければならない。一つ前(モダン)は差異が少なく数多ある建築の中でそれが保存すべきものとして選ばれる理由が見つけられない。だから現在叫ばれる(専門家の中で)モダニズム建築の保存が可能となるためには、ポストモダニズムネクストが生まれなければならない。そうしてモダニズムが二つ前のスタイルとなり、同時代の中での差異性を獲得できた時、それは保存すべき権利を得るというわけだ。
笑いながら聞いていたけれどこれが事実だと思わざるを得ない。
だからこの仕組みを覆す方法こそが必要なのである。
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