早稲田の講義を終えて
前期の早稲田の講義最終回。学生発表後にこんなことを言った。
この講義では建築は誰が作るのか?という問いから出発して、社会の様々な枠組み(ジェンダー、消費、視覚、倫理、世界性、他者性)が目に見えない形で建築家を規定していることを浮き彫りにした。たまさかその表現主体は建築家であったのだが、このことは衣食、あるいは文学、音楽という表現者にまで敷衍できる話である。そしてそういう社会構築的な状態を我々は自然な状態と思うかもしれないが、実はこういう規定力は一つの権力として我々の表現の自由を阻害するものになる可能性を持っている。
ここにいる文化構想学部の学生諸君は表現者になる人は少ないかもしれないが、多くは媒体を通じて表現を支える人になると思われる。そういう君達は常にそうした力に敏感になって流されず確固とした独自の意見を構築する意志を持ってほしい。
君達のプレゼンは年年深みのあるものになってきている。学部の成熟を感じる。一方でネット情報丸写しのような発表もあることが気になる。稚拙に見えようとも独自の意見を論理づける努力を僕は評価したい。表層の知識をかすめ取りもっともらしいことを言う人間はいらない。社会は前者を求めている。
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