篠原一男の論理性
本田勝一は日本語の通説となっている非論理性に反論し、「非論理的言語など存在しない」と主張した。黒木登志夫は(『知的文章とプレゼンテーション』中公新書2011)この主張を非論理的であるとして「『完全に論理的な言語』は存在しないというのであれば、納得がいく、もし、完全に論理的な言語を求めるのであれば、それは数学であろう・・・」と述べた。そして改めて主語欠乏症を日本語非論理性の要因として、自らの文章の3割に主語が欠けており、その7割が私、我々などの1人称であることを明らかにした。
それを読みながら篠原一男の文章指南を思い出した。卒業後何度か氏に文章の赤入れをしていただいたが、その時によく言われたのが主語(私)を入れろであった。この時は自らの主張を明確にせよと言う意味だと思っていたのだが、上記黒木の話などを読んだ後だと、これは数学者篠原の論理性の表れかもしれないと感ずるしだいである。
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