Taku Sakaushi

Diary

信州の恩恵

信大の後輩の先生から同窓会誌に寄稿して欲しいとのメールをいただく。高々6年程度いた教員に対して光栄な寄稿依頼である。ありがたく引き受け30分くらいで思いを綴り返信した。「恩師からの便り」というタイトルでお願いしたいと言われたが、そんな大それたことを書ける身分でも無いので僕が東京に移り感じた国立と私立の差、そして信州で得た恩恵について書いてみた。以下その全文である。
長野に行かなくなって半年。まだ長野が恋しいという気持ちになるほどではありませんが、卒業まで面倒見切れなかった研究室の教え子たちが今頃何をしているのだろうか?とふと気になることがあります。
私は今年の4月から東京理科大学工学部に籍を移しました。初年度から卒論生を16人受け持っています。本来なら卒論生はプラス2人、加えて院生を12人担当しなければいけないのですが初年度と言うことで配慮いただきこの数字となっています。とは言え信大での担当数の3倍近い学生数です。先ずはこの量が国立と私立の差を象徴していると感じました。加えて研究室の面積がこの人数に対応していません。基本的に4年生は研究室に場所はないというのが私立の宿命のようです。
つまり学生1人当たりの先生の数と施設の面積が圧倒的に小さいのが私立です。もちろん都心にあるのだからという理由もあろうかと思いますが、東京にあっても国立は十分な面積と先生の数を備えています。そんなことは承知の上で移動したので、もちろんこれは愚痴でもなんでもなく事実を述べているに過ぎません。
一体こういう状況は何に起因しているかと言えば、理由はいろいろあれども最大の要因は私学に対する補助金の額によるものと思われます。日本の教育予算は世界的に見ても低レベルであり、特に私学への補助は低いのが実状です。私学が日本の優秀な人材を輩出しているという現状を鑑みれば国はしかるべき補助を出すべきだろうと言う人もいます。国立の倍以上のお金を出してこれだけ不利な条件の場所に入学するというのは普通に考えるととても変です。それを変なことと思わない状態にしているのは私学の伝統と教員の質の高さと運営の知恵でしょう。それにしても大きなギャップです。
さてここまでは半年の間に国立と私立の違いで感じたことです。ここからは私が信州で受けた最大の恩恵について記しておきたいと思います。
私は2005年から6年間信大で教育、研究にいそしんで参りました。その間私なりに信大建築学科の意匠についてボトムアップを図り、日本国内で建築意匠の世界に信大ありというプレゼンスを確立できたと思っています。また研究分野では自らの博士論文を提出させていただきました。こうした意味で教育研究の双方で大変有意義な時を過ごすことができました。しかし私にとって何よりも重要だと今感じているのは私自身が信州で貴重なものを得ることが出来たと言う事実です。それは一言で言えば自然をリスペクトする気持ちです。建築のデザインにとって自然と言うのは有史以来とても重要なテーマでした。ところが近代世界になって自然は不要なものとして横に置かれました。建築以外においても世の中の思潮がそうだったのだと思います。そして21世紀に入りそうした流れは変わりつつあります。そうした時期に僕は東京を抜け出て長野の文化や生活に浸りました。その中で「自然」と言うものが染みわたってきていたようです。こういうことに僕は気がついていなかったのですが、東京に戻り私の継続的なクライアントにこう言われました。「長野に6年間いて変ったね」と。「何が?」と問うと、モノの見方が変ってきたと言うのです。どういうことかと問うと僕の発想が建築だけではなくその周囲に、つまり環境に、つまり自然に基づいたものに変ってきたというのです。
信大時代に学生と設計活動や卒業設計を行う時、市役所の方たちと建築や町づくりについて語る時、自然は大事なテーマとなることが多々あったわけですが、それが血肉化しているというような意識はありませんでした。しかし人に言われて「ああそうかあ」と自覚しました。
理性的にエコロジーなどと叫ぶのは僕の好みではありません。特に建築家が声高にそういうことを言うのをあまり好きにはなれません。そもそも建築を造ると言うこと自体がエコロジカルでは無いのですから。なので、自然と「自然」を語れるようになれるまではそうしたことに強く関与したくないと思っていました。ところが、信州の6年間はどうもそれを可能にしてくれたようです。
建築よりも常にその周囲に目が向く。そうした自分の感覚を2010年に一冊の本にまとめました。それはArchitecture as Frameと言うタイトルの作品集です。建築は周囲の環境を切り取るフレームに過ぎないというのがその趣旨です。この考え方は信大に来る前から僕の中に胚胎していましたが信州の6年間が無ければ結実しなかったと思います。そしてその6年間の内実は僕の教え子たちへの指導、同僚の先生たちとの会話、役所の方々や市民とのふれあいだったと思います。
「自然」を自然に考える力を与えてくれた信州に感謝しています。

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On September 8, 2011
by 卓 坂牛
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