コミュニティデザイン
野木の現場往復で山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる』学芸出版2011を読んでみた。今や学生必読の書となっていると聞く。これを読みながら都心におけるコミュニティ意識の発見に思いが至る。
先日お会いした日建設計のとある役員の方が家は郊外にあるが、遠いので理科大(九段下)のそばにコーポラティブハウスを建てて住み始めたとおっしゃる。「他の居住者とは建てる前から知り合いだったのですか?」と聞いたら、「欠員が出たので募集しています」と言うチラシを見て入れてもらったそうだ。他の方はその辺りに住んでいた商店のおやじだったりするらしい。それで何かって言うと皆で集まって飲んだり食ったり、祭りと言えば異常に盛り上がるのだそうだ。家族が住んでいる郊外の住宅地ではこういう集まりは無い。郊外の住宅地では感じないコミュニティ意識を東京のど真ん中のオフィス街では感じるのだという。それを聞いて実は僕も同じことを感じた。以前住んでいた私鉄沿線の住宅地ではかみさんはともかく僕は周囲に知り合いもいなければもちろん話し相手もいない。ところが今住んでいる四谷ではマンションの理事をやっているから近隣住民はよく知っている。また仕事場がそばだから昼食、夕食を食べに行く荒木町の飯屋、飲み屋の親父とは友達だ。いや単なる友達では無い。荒木町の街づくりにもちょっとは関わっており、飲みに行かない飲み屋の親父さんやバーのマスターとも友達である。
そしてそういうお店に僕の家族もご飯食べに行ったりするから知り合いである。というわけで僕にとっては四谷荒木町は一つのコミュニティ意識を感ずる場所なのである。
勘所は何かと言うと、職住接近である。日建の役員も九段下の職場から家まで歩いて行ける。飯もその辺で食う。だからその辺りに帰属意識が高まる。加えて、コーポラティブハウスが住人を一体にする。僕も似たようなものである。
オフィス街でもいやだからこそ、コミュニティは作れる。山崎さんが作るような濃いコミュニティは望むべくもないが緩いコミュニティは適度に気持ちがいい。
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