癒されたいのは大人?
午前中野木の現場を往復。地下水位が高いのには驚く。この辺り田んぼだったのだろう。建物を載せようとしているローム層の上に水みちがあるようだ。
往復の車中読みかけの『日本建築宣言文集』を読み終え、一昨日天内君から送られた仲正昌樹編『批評理論と社会理論1アイステーシス』お茶の水書房2011中の天内論考「ナショナリズムの残余―佐野利器の「反美術的」職能観」を読む。
昨日書いたように明治、大正の建築論は芸術vs技術という2極構造の中に位置づけられる。そして佐野は構造家として技術の極にいた人である。天内君の論考を読むと佐野が19世紀末の戦争のさなかで日本の国力を憂えながら学問へ向かっていたことがうかがえる。そしてその憂いは国力=技術力という戦争を基盤とした強迫観念に結び付いたとも言えるのではないか?そして恐らく当時の学徒たちは多かれ少なかれそうした精神環境の中にいただろうことは想像に難くない。それゆえ当時の建築論が常に一方で技術を極とし、他方芸術においては「日本」の様式がメインテーマであったことも頷ける。つまりどちらの極においても、ナショナルな思考が基盤にあったということである。
ところで話は全然変るが、武藤清の孫にあたる僕の友人は自分の息子に利器と名付け「りき」と読ませている。佐野利器からとったと言っていたが本当だろうか?自分の祖父の師匠の名を自分の息子につけるなんていうことがあるだろうか???もちろん佐野利器の利器は「としたか」と読むのだが。
午後事務所への帰路、傍の公園で移動動物園が行われていた。人が沢山集まっているのだが殆ど大人であることに驚く。子供は動物じゃあ癒されないと言うことか??癒されたいのは大人たち??
夜2年生の製図講評会。新建築の橋本純さんがゲスト。なかなか考えられたレクチャー。そして分かりやすい。さすがジャーナリストである。
通りすがりで失礼します。偶然ブログ拝見しました。
武藤清の孫のご友人は、佐野利器のひ孫でもあるはずです。佐野利器は4人の娘を全て弟子の建築家に嫁がせているので。
尚「利器」は本人は好んで「りき」と読んでいたようです。英語の署名もRikkyでした。