居場所を作る
昨晩講評会ゲストの大賀成典さんが学生時代を振り返りこう言っていた「理科大には溜まり場が無いので学生間のつながりが希薄なんですよ」と。確かにこの大学にはキャンパスが無い。建物出たら公道である。授業終わってうだうだしている場所は無い。学生はある意味可哀そうである。居場所が無い。
しかし問題は物理的な居場所よりも精神的な居場所であろう。例えば自分の例で信大と理科大を比べてみる。信大時代はキャンパスがあるから授業が終われば研究室以外にも中庭のベンチや原っぱでコーヒー飲んだり学生と話したりする場所は結構あった。その意味では理科大より物理的な居場所は多かった。一方精神的居場所はと言うと信大では他の先生と雑談したり方針を相談したり帰りに一杯なんていうことは無く、理科大では同系の先生が沢山いるからそれがとても増えた。つまり精神的な居場所は濃密に変化した。
ところで昨日の卒計に「池袋の公園の周りにサードプレースを作る」というテーマがあった。つまり家庭と職場以外の居場所を作るというものである。阿部真大『居場所の社会学―生きづらさを越えて』日本経済出版社2011も3つ目の居場所を持つことを勧めている。著者曰く「居場所」はいのち綱であると言う。現代では職場も家庭も不安定でありそこに居場所が無くなると精神的ダメージが大きい。そこで第一次セイフティーネットとして3つ目の居場所を確保しなさいというわけである。
はてそう言われると自分はどうか?繰り返しになるが信大時代は大学の居場所が不安定だったのだが幸いOFDAがあったから救われた。もちろん今では大学を含めて居場所はいろいろある。では学生は?彼らは住む、学び、働くという3つの場所を移動し結果的にサードプレースの可能性を既に持っている。とは言えキャンパス、研究室に十分な居場所がある(もちろんそれは物理的な居場所なのだが)信大生に比べ理科大生が不利なのは上述の通り。加えて昨今の経済悪化の中で働くことを余儀なくされる学生の多い理科大では大学くらい安定した居場所であるべき。どうしたらいい場所を作れるのか?
●牛の居場所
これひょっとして丸の内のブリックスクエアの、並んで買うバターケーキやさん?買えた?
そうなんだバターケーキ売っているんだ。行列してたなあ。有名なの?