今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか
17歳のとき次のような一節を読んだ。「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」。私は感銘を受け、それ以来33年間毎朝鏡を見て自問している。「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」。そしてその答えがいいえであることが長く続き過ぎるたびに、私は何かを変える必要を悟った
これはスティーブジョブズのスタンフォード大学でのスピーチの一節である。
昨晩学生とこのスピーチの話になった。僕はスティーブ・ジョブズ教ではないけれど今朝(というか昼頃)起きると昨晩の酒のせいで今日が人生最後の日のように気分が悪く彼を真似るには絶好のコンディションになっていた。そこで鏡を覗きながら今日する予定のジムと読書を本当にやるべきか?と問うことにした。長考の末これらの予定をキャンセルすることにした。最後の日は何もしてはいけないと思ったからである。そこで今日は何もしないと決めた。
ところがしばらくするとチョコレートを持ったお客さんがやって来た。その方とお話しているうちに何もしないという本日のコンセプトが崩れてしまった。何もしない無の時間を過ごすことができなくなった。こうなると今日を人生最後の日にするわけにはいかない。最後の日は何もしないということに決めたので。
というわけで明日もしっかり生きていくことになった。またいつか人生最後の日が訪れたら鏡を覗くことにしたい。
When I was 17, I read a quote that went something like: “If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right.” It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: “If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something
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