石巻を歩く
知り合いの誘いで石巻に来た。東日本大震災による死者行方不明者が最も多かったのが石巻であり4000人近い。2番目が陸前高田で約2000人。その倍である。
石巻は東北有数の工業都市であり工場群は海の近くに立地しておりかなりの被害にあったはず。しかし既に煙突からはもくもくと煙があがっていた。一方海近くにある市立病院と文化センタは一階の割れた大型ガラスの代わりにベニヤが打ちつけられ無残な状態である。
4000人の人間を一掃した津波被害の場所には駅から一つ丘を越えて辿り着く。丘の切れ目からその光景を目の当たりにすると不謹慎な表現かもしれないが、ガリバーがほうきで町を一掃し海際にそのゴミを山積みにしたかのようである。別の言い方をするとこれから建設が始まる埋め立て地のようでもある。しかし残骸として残された戸建住宅の基礎がそれを否定する。
ガリバーを地面にひもで張り付けるなど子供心にあり得んと思っていた。ガリバーが本気出せばあんな糸はプチっと切れてしまうに違いない。本気のガリバーは手がつけられない。そんな虚しさを覚える光景である。
高山英華が究極の防災とは災害が起こりそうな所に住まないことであると言っていた。石巻に限らずこの海際がその地である。それはそうかもしれない。一たび丘の上に上がれば何事も無かったかのような街並みが続くのだから。でもそこに土地を頂けるわけではないし、言うは易く行うは難しである。
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