1985年に日建は画期的な建築を作るチャンスを逸した
その昔西武の社長だった堤清二は「つかしん」という名前の商業施設を作った。できたものはさておき、その建物のコンセプトはデパートやスーパーではなく新宿の小便横丁のような、あるいはアメ横のような、そんな物販飲食の入り乱れたカオス的場の創造である。
僕が日建に入社する1年前、シルバーハットができた頃に竣工した建物である。僕は日建入社後そのコンセプト聞いてこりゃすごいと思った。入社前に北アフリカ旅行をしてイスラムのメディナの迷路のような町を見た後だっただけにこのコンセプトに興味しんしんだった。しかし竣工写真を雑誌で見て愕然とした。全然面白くない。アルジェのカスバのような姿を想像してたのに、ただの箱型スーパーの脇にちょろっと路地がくっついているだけじゃないかと落胆した。
堤清二と三浦展が書いた『無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉』中公新書2009を読むとその失敗の理由が二つ書いてあった。一つはデパートやっていた人をトップにつけたから。もう一つは設計者の問題。設計者は巨大スタジアムのような案を最初に持って来たらしい。しかし堤はその反対のものを作りたいと抵抗。ところが設計者は巨大構造物に固執したそうだ。そこで堤は「今度頼む時は一流の設計事務所にする」と言ったそうだ。すると設計者は「私のところは一流です」と怒ったとのこと。
設計は日建設計。この経過がどれだけ正しい話か分からない。デパートやってた人がトップにいてデパートみたいな建物しか頭になく日建にそういう指示を出していたのかもしれない。そこに急に最高統括のような人がふらりやってきて好き勝手言った一幕かもしれない。しかしそんなことはどうでもよく、1985年に、堤のコンセプトを本当に形に出来ていればそれは画期的な商業空間を創れたはずである。そう思うととても残念である。
この仕事したかったなああ。
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