使う人を問い直す建築
●アンリアレイジ2010年冬wideshortslimlong のインスタレーション
朝木島さんのオープンハウスにお邪魔してそこでばったり会った日建ハウジング(にいらっしゃった)渋田さんの車で東京へ戻る。その時横を通ったスカイツリーが見方によってはシンメトリーにならないのを知る。一昨日の朝日新聞に吉野君(日建の同期)がそんなことを書いていたけれどその意味が理解できた。昼ころ四谷に戻りジムで汗流してかみさんと千駄木の家を見に行った。素敵な家だったけど古くて傾いていた。
帰宅後読みかけの西谷真理子編『現代日本のファッション批評 ファッションは語りはじめた』フィルムアート社2011を読む。この間オペラシティで見たANREALAGEの批評を工藤雅人さんが書いていた。それを僕なりに理解するとこうなる。鷲田清一やコムデギャルソンは衣服によって自らの身体を再発見すると考えている。しかしANREALAGEの考えは逆向きである。衣服で身体を自覚するのではなく身体によって衣服が再発見されるというわけである。中心にあるのは身体ではなく衣服である。彼らはこう言う「身体と言う洋服における定規を問いなおすこと。定規を変えない限り新しい洋服は生まれない」
これってとても建築的でもある。建築が住人を規定すると考えるのが今までの発想。だから住人のリクエストを一生懸命聞く。しかしANREALAGE的なベクトルで考えるなら、住人のリクエストはアプリオリには無い。そうではなく新たな住人のリクエストを作るところから始まる。つまりは「使う人という建築における定規を問い直すこと。定規を変えない限り新しい建築は生まれない」と考えるわけである、、、、
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