現代における王の家
朝一で早稲田の授業。娘と一緒に出かける。曙橋から九段下経由東西線早稲田へ。地下鉄内で研究室の院生O君に会う。びっくり。
今日の講義は建築を生みだす倫理性について。ジェフリー・スコット、ディビッド・ワトキンの倫理性批判などなど。そして現代の抗えない概念エコロジーの功罪について。
昼は三朝庵でカレー南蛮。事務所に戻り現場定例。引き続き別件の打合せ。中座して大学ゼミへ。地下鉄駅まで来てCPU忘れたことに気付く。スタッフに持ってくるよう頼み、自分も事務所方向へ向かう。そのせいでゼミ遅刻。
I君は超高級集住のプランニングを調べていたがなかなか資料が集まらない。そこで集住から住宅に切り替えた。延べ床500㎡を越える巨大住宅のプランニングに的を絞る。そうするとなかなかとんでもない見たことないようなものが現れる。アメーバ―みたいなもの、街路みたいなもの、円盤みたいなもの、、、、、、、、などなど。
僕は修論で摩天楼の巨大(高い)性分析をし、「反復」、「伸長」が設計の中心概念であることを導いた。それに類似した手法分析は可能かもしれない。
その昔、王の家である宮殿という巨大性があった。彼らは力の具現のためにのモノやらヒトの収容力を必要とし、そしてその収容力を権力の象徴性へ転換して見せた。王不在の現在において巨大性は何を意味するのか?現代にも王は別の形で蘇生しているということなのか?調べがつくなら誰が何のためにその大きさを必要とするかが分かれば更に面白くなるのだが。
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