大衆消費政治はもう止めよう
『夢の消費革命―パリ万博と大衆消費の興隆』を先日読んだ時に大衆というのは19世紀にもあったのだろうかとふと疑問に感じた。少し調べて見るとやはり社会学上「大衆社会」が重要な概念になってきたのは1930年代とのこと。ナベツネこと渡邉恒雄『反ポピュリズム論』新潮新書2012では政治における「人気」に警鐘をならしながら「人気」の原理を究明する中でこの「大衆社会」という概念を説明する。
1930年代の大衆社会とは資本主義の発達と原因がある。産業組織の大規模な合理化が人間の絆を切断し無定形な集団の中に放り込む。その結果人間は衝動的激情的性格を濃くし、暗示にかかりやすく制御を欠くとカール・マンハイムは指摘した。全体主義に踊らされた国民の精神状態を説明する言葉としてこの概念があるようだ。一方で、消費における大衆の意味もそれに近い。すなわち皆が一斉に同じ商品を欲するその姿はまさに消費の全体主義と言えなくもない。殆ど暗示にかけられたように国民一斉に白物家電を買い、3cと呼ばれるクーラー、カ―、カラーテレビに熱狂した日本国民の精神状態はこれに近いと言えないか?ヴィトンのバックを世界中で買い漁った女子大生の心理も同様である。
ナベツネという人物に賛同することは滅多にないのだがこの「反ポピュリズム論」に関しては、同意することもある。彼の小泉、橋本批判には全面的に賛成する。ワンフレーズポリティクスやテレポリティクスは極めて危険である。それに夢中になる国民はまさにヴィトンを買い漁る女子大生心理と変わらない。大衆消費社会は成熟した日本にとって既に過去のものである。しかるに政治が未だに大衆消費政治であってはならないと僕も思う。
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