日本の読み変え文化をどう乗り越えるか?
上海行き帰りの機中で豊川斎嚇『群像としての丹下研究室―戦後日本建築・都市史のメインストリーム』オーム社2012を読む。日本の近代概念(建築の)の生まれる現場を見たいのである。そのためには戦前戦後の見えていない糸を見つけなければいけない。そしてそれに応えてくれることが大まかに3つ感じ取れた。
一つ目は戦前の生産力の拡充を巡る企画院、内務省、そして建築家として、前川・坂倉(コルビュジエ派)という緊密なつながりが戦後全総計画を巡り、安本、建設省、丹下研に引き継がれたという事実。にコルの流れは何らかの形で丹下研に血肉化している。
二つ目は戦中西沢らが階級意識を根底に住宅問題を検討していたことに対して、戦後丹下は経済復興を軸にそれを乗り越えていったという事実。つまり戦後の浜口の「ヒューマニズム論」も階級意識を基盤としていたが、丹下は経済合理性を基盤とした。
一つ目と二つ目の事実は明らかに丹下事務所のモデュール設計に繋がり、モデュール設計こそが初期丹下設計のインターナショナルな風合いを作り上げたのではなかろうか。
三つ目は哲学的な知を求める当時の東大建築学科の風潮の中で、立原道造がヴァレリー、あるいはヴェルフリンから建築における現象の重要性を読みとったのに対し、丹下は同じヴァレリーから幾何学を読みとっていたと言う事実。
丹下健三だけが日本の近代(建築)を作っていたわけでは無いにしても、著者が言うように彼がメインストリームであることは明らかであり、彼の戦前からの思考の受容と連続が日本の近代概念(あるとすればだが)の核であることは間違いない。
コルビュジエ、経済、モデュール、幾何学。乱暴に言えば、この辺りが近代概念の核であろうことが、おぼろげに見えてきた。
そしてではこれらは一体僕らにとってどういう意味を持つのだろうか?海外文化の読みかえ(何時も日本はそうなのだが)を僕らはどう消化して乗り越えていくのか?今度はグアテマラで話さないといけない。
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