紙を読むスピーチ
午前中滞中時の御礼メールをあっちこっちに出していたら事務所から電話、「もう出る時間ですよ」と言われ「あれもう11時」と気付く。あせってパソコンを閉め、中央線で一本、山手線で一本、常磐線でさらに数本メールする。
昨晩家に帰るなり、興奮してかみさんに中国での話をしまくったら、かみさんに言われた僕は何かに刺激を受けて帰ってくると凄い勢いで話しまくると。それは僕もよく自覚している。「中国建築はすぐに日本建築の手ごわいコンペティターになる」と言うことを力説していた。でもそう思った理由は、中国がユウロアメリカンの文化圏において強い存在感の持ち始めたというところにある。なんのことはない。ユウロセントリシズムを思いっきり肯定しているのである。そんな自分が情けないが、、、この気持ちは中国の前近代性に一通り痛い目にあった人間にしか分からない。
帰宅後、ひたすらスピーチ原稿を英語で打つ。いままで日本語のスピーチで原稿を作ったことは無い。紙を読むスピーチは抑揚がないので好きではない。よって自分のスピーチも紙は作らない。当然英語になってもそういうことはしないと心に決めていたのだが、今回ちょっと限界を感じた。というのも今回のシンポジウムにおいて10人以上のスピーカーのうち紙を持っていなかったのはAAのマーク・カズンくらいである。後はMITやコロンピアの教授陣もネイティブのようなチャイニーズも紙を用意していた。そんな中で手ぶらの僕は冷や汗ものだった。だから今回は簡単なペーパーは作っておこうと思いひたすら打ちまくった4分の3くらいはできたのだが、力尽きた。続きは明日早朝。
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