日本が江戸化すると日本史も終わらないか?
6時から大学院の講義。フォーティー『言葉と建築』の歴史の章。最近は本の内容を語るのに飽きたので毎回違うことを話している。今日は歴史とは過去の事実の列挙ではないという話をするために、歴史の終わりの話をする。
アレクサンドル・コジェーブ『ヘーゲル読解入門』の注について。歴史の終焉以降の日本のスノビズム、アメリカの動物化、そしてフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』、そしてコジェーブを受けた東浩紀の『動物化するポストモダン』。ここまでまず現代的歴史認識としての歴史というものを話した。そしてヴィドラーの20世紀建築の発明、先日の中国シンポジウムのテーマである過去の発明(invention of the past)。歴史というナラティブの説明。
授業を終えてゼミ終えて部屋に戻ると池田信夫、与那覇潤『「日本史」の終わり』php2012が届いていた。ここでも歴史の終わりである。与那覇潤の『中国化する日本』によれば日本は維新で一度中国化(中国宋のネオリベラリズムを念頭に)しその後江戸化するが現在また中国化している。ネオリベ化はフクヤマの歴史の到達点であるからつまり日本史も終わったことになる。まあ世界史が終わったのだから日本史も終わって当然と言えば当然かもしれないが、ここで日本が再度江戸化すると日本史も終わらないということなのだろうが。
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