目で見る立体は平面にすぎないが手で触れる平面は立体である
午後現場でクライアントも交えて定例、そして打ち合わせ。長時間コンクリートの床の上に動かず立っていたら完全に体中がおかしくなってきた。弱っている足首が凍りついて動かなくなった。余りの寒さにかみさんと新宿で夕食をとり帰宅。四谷三丁目の地下鉄駅から地上に出るとおよそ100メートルくらいにだけツリーライトがつけられていた。日曜日で人通りも少なく風も強くライトが冷たく光っていた。
数日前から読み始めた佐伯啓思『隠された思考』ちくま学芸文庫(1985)の第一章は「演技する知識・解釈する知識」という表題。プラトンをヒントに著者は、暗がりで手探りでものを見極める触覚を直感能力とし、光の中でものを配列する視覚は論理的構成能力と呼んだ。ヘルダーは「目で見る立体は平面にすぎないが手で触れる平面は立体である」と言って。プランと同様手の優位を述べいている。
さてその後スコラ学ではこの直感能力が知性と呼ばれ、論理的構成能力は悟性と呼ばれた。そして近代は知性を無視し、悟性の上に科学を作り上げた。現代人は悟性を万能だと思うほどお人よしではないのだが、悟性が優先せざるを得ないことも知っている。だからこんな悟性優先で得られる知識を「演技する知識」そしてこの演技する知識から観照(テオリア)を通して直感能力の先で得られる知識を「解釈する知識」と著者は呼ぶ。近代の学問つまり○○科学とつくものは理系文系を問わず演技する知識であろう(いやそれを壊すためにこんな本があるのだろうが)。そうなると我々の建築は理工学なんていう○○科学のジャンルにありながら数少ないテオリアが有効な分野なのである。現場で凍てつきながらそんなことをふと思ったが、寒さのあまりとても知までは辿り着かなかった。
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