スカルパを見ながら「汚れ」と「風化」の差を考える
高校の建築関係者OB会を行った。場所は幹事である石橋さんの母校でありやはり幹事である坂牛の仕事場である理科大のOB会館。この会は本来会員の竣工作品を愛でる会なのだが、最近東京近郊で会員の作品がなく今日のテーマは高田典夫さんのスカルパツアー。高田さんはレンゾピアノの事務所にいたのでイタリア通である。優雅な旅のお話は羨ましい限り。これをみながらあることが気になった。それは汚れ。スカルパのコンクリートはきれいなものもあるけれどブリオンベガなんてかなり汚い。でも高田さんに言わせればこの汚さがいい。ではこの汚さの良さとはなにのだろうか?僕の最近のエイジング研究によれば(なんて別に研究しているのではなく単なる最近の観察によれば)汚れが局部的な場合それは汚れになる。しかし見渡す限り汚れていれば汚さは気にならない。その時それを形容する言葉は「汚れ」から「風化」という美しい言葉に代わるのである。例えば今朝撮った四ツ谷の崖写真。コンクリート擁壁は美しく汚れている。この大壁面全体が余すところなく汚れているから「汚れ」から「風化」に変身するのである。
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