戦争も原発も根っこにあるのは無責任体質である
ディム・ヴェンダースの最近の写真も含む「Places strange and quiet」2013年editionには3.11以降に福島に来て撮った写真が3枚載っている。撮りながら計ったであろうガイガーカウンターの数値がそれぞれにつけられていた。そしてどの写真にもぼーっと霞むサインカーブが写っている。まるで心霊写真のようである。
3枚の内の最後の写真には下記(英語)テキストがついている。
「ほんの数週間してから私は自分の写真を現像した。
福島で撮ったネガは壊れ、崩れていた。
それらにはすべて同じサインカーブが写っていた。
セルロイドフィルムには不可視の放射線が究極のところ可視化されていた」
と言うテキストとこの写真。
放射線が写るかどうかはこの際どうでもいい。問題はヴェンダースを含めおそらく多くのアーティストが国内外を問わずこの地をおとずれ、様々な発信をし事故の再発を恐れ警告している。しかるに、日本の首相はこの惨事の原因を世界に売ろうとしている。これを厚顔無恥と言わず何と形容できようか?この写真が「お前の父ちゃん相当ノータリンだな」と訴えているように見えてくるのである。
8月15日の終戦記念日に思う。日本が負けると分かっている戦争に突入して負けたことと、壊れると分かっている原子力発電所を稼働し続け壊れたことには必ずや同質の無責任体質が共有されている。
我々国民はそれに対してある種の責任があるはずだ。しかし我々はそれを変えようとしない。それどころかそんな政治を応援している。見せかけの経済政策を代償に。悲しいほど恥ずかしいことと思う。
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