小川治兵衛の庭を見てきたので読んでみた
先日京都に行った際に宿泊した亀岡の楽々荘は現在のトロッコ列車として有名な旧山陰線生みの親、田中源太郎翁の生家であり、敷地は1750坪。庭は小川治兵衛であった。行く前に読もうと思い時間が無く先ほど風呂につかりながら鈴木博之『庭師小川治兵衛とその時代』東京大学出版会2013に目を通した。読み始めてから75頁まで主人公は登場せず、ひたすら琵琶湖疏水の作成経緯が書かれ、次に山形有朋が無鄰菴を作りこの疎水を引き入れたと続きやっとその庭づくりに小川が依頼されたとして登場する。山形の仕事をしたことであっちこっちから引っ張りだことなる。
人によっては小川の作品の価値を哲学がないと言って認めない人もいるようだが、自然主義の庭に哲学などないだろうと思わないでもない。楽々荘の庭は庭の向こうに高層ビルが建ちあがり風情がなくなったが庭の奥から建物を見るとそれなりに素敵であった。
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