歴史はすべて偶然か?
昨日パーティでお会いした大森さんが来季から理科大の近代建築の授業で「名建築のちょっと見慣れない写真」とか、「あまり知られていないけどいい建築の写真」を紹介すると言っていた(気がする)。それを勝手に理解して「傍流こそ主流だ!」というようなタイトルで「作られた近代建築史」を少々破壊する様な話をしたら面白いと言った。
今日小谷野敦『日本人のための世界史入門』新潮社2013を風呂で読んでいて、彼の「歴史は偶然の連続である」という言葉に半分共感した。そうであるまさしく近代建築史も偶然の連続をあたかも一つのお話の如く語るのは嘘だろうと思うわけである。よって大森さんの話を拡大解釈して一人で面白がっていた。
とは言え、近代建築史がすべて偶然かと言えばそれも正直言えば?である。ある法則(合理性と機能性の追求が建築を進化させるというような)がその時代を暗黙裡に前進させる力となっていたのも事実のような気がするわけである。コルビュジエもミースもライトもたまたまフランスとドイツとアメリカに偶然現れたとは考えにくい。
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