creationとmature
一昨日(になるのかな)ニューヨークで話をしていたJS(japanSociety)のの芸術監督である友人の仕事は日本のアーティストをNYCに呼ぶことである。ここに呼ばれるということはそれだけで日本のアーティストが世界で認められる第一歩でもある。ここ5年で呼んだ人のリストを見せてもらった。それはそれは凄い顔ぶれである。人間国宝もほとんどno gurannteeで来る場所である。が、僕がとても押すダンサーは未だ呼ばれていない。呼んだら?と言うとステージ部門でNYCで200人客を集められない人は呼ば(べ)ないと言う。なるほど。でもそうすと勢いメジャーアーティストになる。それって結局結果が分かっているアーティストではないか?そういうのをJS(NPO)ば呼ぶ意味があるのか?水戸黄門みたいなものを見て楽しいか?という疑問になる。僕にとっては少し????である。とはいっても彼女が呼んでいるアーティストでもっとも水戸黄門的なのでも坂本龍一くらいなのではあるが。
これはかなり激論になった。to make a long story short 彼女は何時までも同じことをやり続けながら少しずつ変化する年寄にもcreativityがあると言う。僕はちょっと違うと思う。creationとは若い細胞にあたえられた特権である。だから古い細胞がのろのろやっていることはcreationではなくてmatureなのである。もちろんmatureとcreationを同列の価値基準で語るものではないが。
JSが円楽を呼び、萬斎を呼ぶならばそれはそれでよい。でもはっきりとした基準を提示するべきだと僕は思う。それはもちろんJSだけではなく、建築を含めたアートのクリティーク、ジャーナリズムも心得ておくべきことではなかろうか。
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