神楽坂トーク会面白かった
神楽坂と外濠をテーマとしたレクチャーとトーク会が理科大の森戸記念館で夕方行われた。伊藤裕久先生のレクチャーを聴きながらああこの間ふらふら歩いていた横寺町は近世に集められた寺なのだと知る。なんとも面白かったのは三つほどあった。一つは外濠の外側である神楽坂などは江戸城ができて放射状に発展した街であろうという予想に反し、じつは中世、戦国時代に既に築きあげられていた構造を下敷きとして発展した場所であるということである。二つ目はこの神楽坂という町が酒井藩邸を中心とした小城下町のような空気を持っていたということ。そして三つ目は江戸と言う都市が江戸城を中心として放射状に発展した街ではなく、神楽坂のような江戸以前の都市構造を基盤とする小城下町がモザイク状に付置された都市であるという点である。
レクチャーの後宇野先生(理科大)、伊藤先生(理科大)、福井先生(法政大学)、福井会長(神楽坂商店会)によるレクチャーをネタにトークが行われた。そこで出た面白い話。神楽坂の路地は多様性がある。という福井先生の観察に対し、伊藤先生がその理由の一つは神楽の路地は私有地であり、それぞれの土地所有者がそれぞれの個性で築きあげたからだろうとおっしゃった。これは目から鱗である。なるほど。
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