磯崎新弔辞集が面白い
腹ペコの帰りの電車で磯崎新『挽歌集―建築があった時代へ』白水社2014をペラペラめくる。これは磯崎新が生涯に送った弔辞集である。こういう本がかつてあったのだろうか?磯崎ほどのスーパースターだからこそ本になるほど弔辞を送ってきたのだろう。連なる名前に驚く。音楽家、哲学者、芸術家、、、、、それてしもこのサブタイトルはなんだろうか?「建築があった時代へ」というこのサブタイトル。「今は無い建築」への郷愁がただよっている。そしてここで言う「建築」とは磯崎が作るべく奔走していたメタ建築のことであろうか?
そういうふうにして中を見て熱が入っている弔辞が二つあると感じられた。ひとつは丹下健三もう一つは篠原一男である。丹下はもちろん磯崎の掛け替えのない師匠である。そして篠原はこれも掛け替えのない同士なのであろうか?そして篠原は磯崎とともにメタな建築(篠原は芸術だったが)を目指した日本ではおそらく唯一の建築家だったのではなかろうか。「篠原一男が逝ってしまうことによって、私は思考の定点を失った気がする。私だけではない。日本の現代建築にとっての定点を私たちは失ったのだ」という最後の言葉は本音だろう。
横浜国際客席ターミナルコンペの審査の頃は、かなりお怒りでした。その様子を吉松秀樹さんに伝えたら、アンビルト・イエットアンビルトのギャラ間の会で、磯崎さんとの目線を合わせなかった握手へと繋がるのです。
横浜国際客席ターミナルコンペの審査の頃は、かなりお怒りでした。その様子を吉松秀樹さんに伝えたら、アンビルト・イエットアンビルトのギャラ間の会で、磯崎さんとの目線を合わせなかった握手へと繋がるのです。