テクノロジーが大学教授の職を奪うか?
タイラー・コーエン若田部昌澄、池村千秋訳『大格差-機械の知能は仕事と所得をどう変えるか』NTT出版(2013)2014のタイトルの「大格差」に釣られて思わず読んだ。アメリカの経済論壇には三つの説があるという。それらは1)景気後退による「長期停滞」、2)イノベーションなどの枯渇による「大停滞」、3)イノベーションの発達による「大失業」である。著者は前著『大停滞』では2)のイノベーション枯渇の立場をとっていたのが、本書では3)の立場に鞍替えして技術の発達が人の仕事を奪うという立場をとっている。
その中で我々にとっては教育の話が面白い。コンピューターイノベーションによって既に始まっているオンライン教育は今後さらに加速し(どこの大学でも現在多かれ少なかれやっていると思うが)オンラインで授業が完結する教授不在の授業もすでにアメリカにはあるのだと言う。ヴァージニア工科大学ではショッピングモールの一部にコンピューターを数百台置き、24時間学生はそこで授業が受けられるようになっていると言う。
さてそうなると大学教授は不要かと言うとそうでもなくて、学生たちを鼓舞し、メンテナンスしていくコーチのような存在になるのだという。さらにアメリカの優秀な大学の教授たちは単に教えるだけではなく定期的にホームパーティーを開いて学生を招くことが期待されているのだともいう。もはや質の高い授業はオンラインに任せろと言わんばかりである。
例えば経済学で言えばヴァーチャルな世界の中に実社会を作りその中で実際の投資などを行いながら経済を学ぶということが行われようとしているらしい。なるほどこれは建築でも使えるではないか、ヴァーチャルな世界のゼネコンに設計図を提出して、実際に1年かけて建物を作りそれを監理するというクラスができるのも時間の問題かもしれない。あれだけよくできたゲームソフトができる時代である。彼ら天才ゲームプログラマーにビルディング監理ゲームを作ってもらえばいいわけである。もし仮にどこかの大学の建築学科が総力をあげてそんなソフトを天才プログラマーと共同で作ったとしたら、それは破格の値段で売れるはずである。そうするとそこに競争が起こり、さらにとんでもないソフトが作られる可能性がある。そしてこんな授業(?)はかなり面白いはずである。
しかし著者はそれを邪魔する可能性として大学の認証機関の存在をあげている。もしそういうことが起こると大学の存立基盤が崩れ、大学の存在自体が怪しくなる。全てがヴァーチャル大学となったとき、認証機関は誰からも発注されなくなる。よって彼らは旧態依然とした大学をそう簡単になくすことはできないというのが著者の結論。
というわけで私の仕事ももう少しありそうである。
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