運命のゲシュタルト
オフクロが他界した時に実家の大掃除をして小学生の頃買って大事にしていたベートーベンの交響曲のスコアを発見した。理由は分からないが、5番と7番と9番があった。その頃はマジで将来は指揮者になろうなんて思っていたのである。それが長続きしなかったのは運動の方が好きだったからであり、自分が病弱な運動音痴だったら違う人生を歩んでいただろうなあと思う。自分にとってはもはや健康は価値だけれど、そういうわけで健康じゃない人は健康じゃないことで開ける人生もあるはずだなんて思ったりする。
4年前に発見したそのスコアは引き取って僕の本棚の上の方においていたのだが、最近建築グラフィックの図と地とかゲシュタルトかそのゲシュタルト間の論理性なんていうことを文章化していたら音のゲシュタルト(なんていう言葉遣いは僕が勝手にしているだけだが)があるだろうと思い運命を聞きながらスコアを開いて気がついた。なぜ運命は誰でも知っているのか日本人にとって最もポピュラーなクラシックのワンフレーズと言ったら運命ではなかろうか?その理由は何だ?もちろんあのたった4つの音の構成の迫力にあるといえばそうなのだが、これはそうたった4つの音。たった2小節なのである。交響曲はソナタ形式なので提示部、展開部、再現部という3つの部分があり最初に提示されるテーマはしつこく繰り返される。よって当たり前だがこのテーマは曲の背骨、心臓、脳みそなのである。それがたった2小節である。そんなソナタあるのだろうか?知っている人がいたら教えて欲しい。そしてこの強烈ながなり立てるような音量で演奏されるたった2小節は仮に絵画でいったら日の丸である。いやもっと小さな円でしかももっと輝度の高い色で塗られた絵画である。絵画で言えば強いゲシュタルトを形成するであろう。それは音楽でも同じで強い印象を耳に植え付けるわけである。
視覚にあり聴覚にあることは触覚や嗅覚にあるのであり、さて原稿を書かねば。
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