東京は浅はか
菊池成孔『服は何故音楽を必要とするのか―「ウォーキングミュージック」という存在しないジャンルに召喚された音楽たちについての考察』河出文庫2012のこの長い副題に惹かれて読んでみた。菊地成孔同様僕もファッションショーの大ファンである。と言ってもそんなにたくさん見たことはないし、TGCに行ったこともなければパリコレも見たことはない。何度かトライしたけれど、そんな都合よくパリに行ける訳もなく、、、
ファッションショーはモデルとウォーキングと音楽とライトの総合芸術だと思っている。さらに言えば年に何回か勝負をかけたデザイナーのエキスが発露する一発勝負の瞬間芸でもあるから興奮するのだと思う。
ところでここで菊地が書こうとしていることはそういうようなこととはあまり関係なく、ファッションショーではモデルが音楽のリズムを無視して歩くそのズレの構造を問題視しているのである。実は僕にとってはこのズレもまさにこのファッションショーが芸術であることの証であるように思える。そもそも芸術における美とは古来完全性に宿っていたのだろうが、ある時からそこにズレを内包した不完全性にこそ宿るという感性が受け取る側に生まれてきたと言える。そのズレを美的なるものとして感じられる閾値は時代によって異なるのだが、ある時代からそれは確実に生まれてきた。
菊地が言うにはパリやミラノはずれているのだが東京(TGC)ではモデルは音に合わせて踊りだしているという。つまりズレがない。それはエレガンスのないゴージャスであり、シックのないセレブだと菊地は言う。今の感覚で言えばズレのないストレート表現は浅はかということなのである(菊地の観察を聞いてTGCは行く必要がないという結論に至る)。
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