ストリートを見直そう
昨日もモリスの共同体社会主義を読みながら、どうも共同体という言葉の行く末にちらつくナショナリズムが気になる。ギードボーたちが60年前にやろうとしたことの一つはまさにこの一点に凝縮してくるファシズム的資本主義的な視覚(ワールドカップやオリンピックのような)の熱狂を錯乱して様々な状況を作ることだった。言えばスタジアムからストリートへというような流れである。だからストリートが大事なのであり、事後的にだが、やはり祭りはやった甲斐があったと思っている。日本は2020に向けてますます熱狂的なスペクタクルが資本の力で生み出されるだろう。それは現在の自民党政権にとって願ってもないことである。こうしてナショナリズムを醸造するのが安倍首相の狙いでもある。
文化を、視覚を拡散する上でストリートが見直されるべきである。ストリートファッション、ストリートアート、ストリートミュージック、などなどである。大山エンリコイサム『アゲインスト・リテラシ――グラフィティ文化論』LIXLIL出版2015もそんなストリートアートを再考するにはいい本である。これから読んでみよう。
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