公共性の様々な側面
昨日の4年生の製図の打ち上の紹興酒が少し残っているのを走って流し、7時頃家を出て成田へ。非常口前の席がネットでとれていたのだが、ウィンドウサイドはドアの厚みで圧迫感。機内で最近よく名を聞く篠原雅武『全—生活論—転形期の公共空間』2012以文社を読む。タイトルの通り「生活」を考察の対象とする本である。現代人の生活は快適なようで様々に失調している。そして何よりも問題なのはそうした失調を我々は見て見ぬ振りをするところにあるという。それは見るのが怖いというのと同時にそれを回避する様々な装置が備わっているからである。世の中に溢れる便利グッズやITグッズはその最たるものである。そしてそうした回避は往往にして私的空間で安楽を求めて起こる。それが公共性への無関心をも促進する。そうして公共空間は縮減して包容力を失う。この悪循環が生活をますます狂わしていくと著者は言いたげである。
バルセロナでは公共性をめぐるシンポジウムを行うが公共性問題は様々な位相に展開している。ことを再任する。その中でフィジカルな枠組みがどこまで何をどう変えられるかを考えないといけない。
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