バルセロナで思う
バルセロナ最後の夜はエンリックと二人で食事をしながら様々な話をした。男二人で6時間もいただろうか。彼は今書いている博士論文を仕上げたらもうこれ以上人のことについて書くことはしないと言っていた。彼曰くTakuは既にArchitecture as Frameという自分なりの建築に対する主張を明確にしているが、自分は未だそこに至っていない。だからドクターをとって自分の建築を考えるスタート地点にたつのだという。
エンリックはそう言うが鈴木さんにはこう言われた。僕の『建築の規則』は分析の書であって建築家としての主張が書かれてはいない。それが今回のレクチャー「コネクションズ」では僕の主張が見られたし、加えてそれが内向きの建築の美学ではなく外に開かれたものであることに可能性を感じるとありがたい言葉をいただいた。しかしまだ主張が弱いのでそれらをもう少し良く考えて本にするといいとアドバイスされた。
こんな話もした。今回のBOSUのテーマはパグリックネスであるし、我々が建築の社会性を議論しなければならないのはもちろんその通りなのだが、建築は単なる社会からの要請だけでできるものではない。と僕が主張すると、そうだけれど、、、ヨーロッパではほとんどの建築は公共性を持っておりそれらはほとんどコンペでとる。だから建築である前に公共であらざるを得ないのだと。公共建築だからと言ってそれが公共を満たせば建築になるとは思わないと僕が言うとそうだなと頷いていた。
来年のワークショップをやる時までにアーキテクチャーアズフレームのヴァージョンアップをして新たなモノグラフを作りたい。それが鈴木さんやエンリクへの答えになるモノだと思う。そのタイトルは何なのだろうか?
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