親父も90
一昨日親父が家の前で転んで動けなくなったというメールを同居している兄よりもらった。すると次の日その容態が悪くお茶の水の病院に入院したというメールが来た。すぐに兄に電話をして病院に行こうかと問うとその必要はないが明日にでも見舞いに来て元気付けて欲しいと言われた。90にもなると生きる気力があるか否かが大きな問題である。本日大学の用事を終えて病院に夕方行くと個室に移っていて兄が部屋にいた。親父は薄眼を開けているのだがこちらに気づいているのかどうかよく分から無い。「卓だよ」と大きな声を出して顔を近づけると「おお卓か」といつもの返事が返ってきたのでほっとした。しかしその後ほとんど何も話さ無い。兄が帰った後も話はし無いがしばらくこの部屋にいて同じ空気を吸おうと思い本を読み始めた。鶴見俊輔『文章心得帖』ちくま学芸文庫2013。読み始めたら親父のことなど忘れて没頭した。この手の文章指南の本をかなり読んでいるがだいたい得るところが少ない。しかしのこの本はプラクティカルである。
使えると思ったことは三つある。一つは紋切り型を排除せよ。そして紋切り型を避ける方法その1形容詞を使わず動詞で語れ。その2形容詞の最上級は避けよ。その3漢語の名詞には注意せよ。二つ目は文章を書くことは選ぶこと。書きたいことは山ほどあるが何を書か無いかがポイントである。そして3つ目は書きたいことの束をそれぞれとても小さな紙に書いてみること。大きな紙に書くと不要なことを含んでしまうからだそうだ。
なるほどと思うことばかり、これは明日から実行できそうである。そして実にこのことは建築にも言えそうである。極端な形(最上級)を使わ無い。人の動きを考えよ。やりたいことを減らす。などである。もしかすると文章を書くことと建築の設計をすることはかなり近いことなのである。それが証拠に設計のうまい人はだいたい文章もうまいものである。などと考えているうちに面会時間をとうに過ぎているのに気がついた。では「親父よまた明後日」。
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