就職について
内田樹が言っています。
「今の若者たちは『新卒一括採用』というルールに縛られて、そこから脱落したら『人生おしまい』というような恐怖を植えつけられています。でも、ほんとうはそんなことないんです。・・・それを限定してみせているのは企業の人事と就職情報産業の『仕掛け』です。・・・『新卒一括採用』以外にキャリアパスは存在しないと信じ込ませようとしている。
そんなわけないじゃないですか。
若い働き手を求めている職場なんか日本に無数にある・・・でもそういうところについての適切な就職情報はだれからも提供されません・・・サラリーマン以外に無数のキャリアパスがあるという情報を若い人たちが知ることは、企業の人事にとってきわめて不利な事態だからです。だから情報が遮断されている。それは国策でもあるのです」
そうだよなと最近実感します。富士吉田の斎藤さんに会ったり、福島の小松さんに会って話をしているとつくづくそう思います。国内だけではなくアルゼンチンで、チリで、コペンハーゲンで、バルセロナで建築家たちと話をしていると世の中には色々な生き方があり、そして色々な生活があると。
大学人としては、新卒一括採用のヴィークルに乗っかって、そういう会社にいくことのためにこの大学に子息を入れた親というものの期待に応えるべきでしょう、という理屈もあります。私立大学の中には(もちろん国立系の大学も)そういうヴィークルに学生を載せることに莫大なエネルギーをかけ、大学のセールスポイントとして大学の存亡をかけているところもあります。それはそれで仕方のないことかもしれませんし、そういうところで働くことにもそれなりのメリットはありますから。しかしそのためにそれ以外のチョイスを隠蔽するのはフェアではありません。今の大学という場所はそれ以外のチョイスにはまったく蒙昧であり蒙昧であるからその価値を隠蔽するという状態にあります。職を得るということをすべて大企業への就職率で測るというこの状況はどこかおかしい。本当に学生のための生き方にはこのようなチョイスがあるということを掘り出しその情報を学生に与えるのが大学のあるべき姿なのだろうと思います。僕としてはなるべくそうした可能性に触れられるように、様々な機会を研究室の中で作れればと思っています。内田さんの言うことに多く賛成だからです。
しかし最後に一言付け加えるなら、大学も国もそっぽを向いて、乗り心地のいいヴィークルを用意していない場所に行くには、自分でヴィークルを作って乗っていかなければならない。その自律の精神がない場合は今の所そういう場所に行くのは難しいということです。
(内田樹『困難な成熟』夜間飛行2015)
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