Modernity and Domesticity
18日南京で話すことを考えていた。テーマはModernity and Domesticity直訳すれば近代性と家庭性とでもなる。なんのことかよくわからず、オランダの建築の先生Hilde Heynenが書いたModernity and domesticity Tensions and contradictionsを読んでみた. 内容は次のようなものである。西洋の住宅は19世紀に入り公私の区別が明確になり、家庭を守る母のための家となる。家は母が守り、男は仕事に行くという構図が作られる。しかし20世紀モダニズムの時代の建築(Modernityを内包した建築)は前衛と呼ばれ、新しい世界を戦いながら切り開くもので、それまでの母に守られた暖かい空間を破るものとなった。また女性の社会進出によって女性が母として家を守り男性が外で働くという構図が成り立たなくなってきた。つまり20世紀は二つの意味においてもはや家庭的な家(domesticityを内包した家)が成り立たなくなった。というものである。
というわけでこれは私が建築の条件で行っている男性性女性性と同じ問題系であることが分かったのでそれに沿って話をすることに決めた。しかし日本の場合はこのdomesticityを内包した建築が作られたことが無かったのではなかろうか?あるとすればモダニズムの初期であり19世紀ではないというのが西洋と少し違う。その辺りを説明しながら、縄文からはじめカワイイまでたどり着きたい。
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