建築は大変だ
建築意匠は未だに前近代的な職人芸的なところがある。大学の成績が良いことと建築家としてうまく行くことにはまったく相関関係はない。
私立大学の研究室は4年生だけで20人近い。その20人がいくら自分の研究室を志望してきたとしても全員ピュアに建築家を目指そうとしているとは思えない。いやもちろん志望するならそれに越したことはないがそうは見えない。いや全員志望してなれるものでもないだろうからこのことが悲劇を生むということでもなければ教育に欠陥があるとも思わない。しかしもちろんその何割かは建築家を目指すのであろう。そして目指すのであればそういう人間は肝に銘じるべきである。人生の時間をどれだけ建築に傾けるかで将来は決まる。建築が職人芸的であるということはそういうことである。音楽やスポーツとなんら変わらない。音楽は1日何時間練習するかで一生が決まる。スポーツは一日中練習していたら体が壊れるけれど、食べることから遊ぶことまでスポーツ中心に生活を動かさない人間は一流にはなれない。建築もまったくそうである。
1日のすべての時間は建築中心に動くのである。世界に羽ばたきたければ語学を毎日勉強せよ。世界の動向を知りたければ世界の本を読め。毎日1時間スケッチを描け。友と議論せよ。必要な美術展はすべて見る。反省せよ。どれだけそういう努力を惜しんでいないか?そしてそうでないのであれば今すぐに生活を改めよ。即座にその気にならないなら即座に違う職業を探せ。建築家を目指すなんてやめたほうがいい。時間の無駄である。建築家以外にも建築の仕事はいろいろある。
藤村龍至さんが大学1年の時に教授にこのクラスで建築家になれる人間は一人もいないだろうと言われて奮起したと言っていたが僕も同様なことを言われた記憶がある。それは嫌味ではなく確率的にそんなものである。だから大変なのである。努力できる人がやる仕事なのである。建築とは。
坂牛さん
建築家という職能を限定しすぎなような気がします。もっと建築家というのは開いた職能かと私は理解しています。
そうね。そうかもね。でもね、過度の自由は不自由なんだと最近思う。