競争すること
万民を相手にする一律の競争原理であるネオリベラリズムの主張に与する気はないが、ある土俵に乗った人々が競争するのは当然である。その昔日建設計が一律平等な呑気で平和な時代に競争原理を導入することを組合として提案した。考えてみればやることがあべこべでそういうことは経営側がすることだったかもしれないが日建の組合というのは経営をするというのが昔からの習わしである。またあるレベルの高等教育も競争原理の上に成り立っているのも当然である。そこまで来られる社会的条件を得た人間たちの集合なのだから。切磋琢磨しない教育に向上はない。だから大学では意識的に順位をつけている。1と2と3の間に厳密な差はないのだが、社会ではごく当たり前に1と2を識別する。ある建物の設計者は1がやるのであって1と2と共同することはないのである。まして10や11に順番がまわることは絶対にない。1でなければ仕事がないのである。
2番じゃダメかと言っていた国会議員がいたが、建築の世界ではダメなのである。だから学生時代から1をとる癖をつけておかないと設計者になる人は浮かばれない。しんどい仕事である。
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