ミッシェル・ブラジー
銀座でシンゴジラを見た。痛快エンターテイメントだった。でも横で配偶者は眠っていた。見終わってジャックランシエールの「政治的芸術のパラドックス」の話をしたら納得していた。政治的ステートメントは上手く入れないと表現の強度は弱まる。また日常性はどうかというとこれも下手をすると危うい。しかし問題は表現者の表現形式とメディアと受容者の受容形式の距離感である。例えば坂本先生の建築は日常性と言ってもしっかり距離感が保たれているので圧倒的に強度がある。これがあまりに近しいと受容側に何の精神の高揚も起こらない。エルメスでミッシェル・ブラジーの作品を見たが、タイトルはLiving room 2である。人間の生活と生物の関係を形にする関係性のアートの一種である。でもここにも表現形式とメディアと受容形式にはある距離感が保たれているように思えた。結構ぎりぎりではあるが。
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