シンゴジラ vs 市民
紀尾井町ガーデンというビルが近所に出来て東京はまだまだ巨大資本が町を更新していることを実感する。なんだかシンゴジラを見ているようである。キャピタルダーヴイニズムが弱肉強食の理論で東京を更新している姿は凄いものである。生物の自然淘汰は時間をかけた競争によってバランスされたものであるが東京のキャピタルダーヴィニズムは短期間で進み、バランスという状態とは程遠い。思うに、何かが起こる時にそれに競争するアイデアが登場しないのがまずい。葛藤、競争がないとダーヴィニズムにならないしバランスしない。例えば元の赤坂プリンスを使ったオフィスの提案とか集住の提案とかが出てきてしかるべきでそれと競争させるべきである。おそらくそういう案がどこかの時点で誰かが作っていたのだろうが、誰も見ないうちに捨てられたと推測する。それは一つの会社内で行っているからである。対抗するアイデアは公が行うべきである。そしてその決着は市民を巻き込み決めるべきである。シンゴジラの自由は認めるがそれと市民が戦う仕組みをつくるべきである。
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